イグノーベル賞は、単純におもしろがりたい

20161206i
このところ、毎年、日本人科学者がノーベル賞を受賞しており、科学のことはまったくチンプンカンブの私も、同胞としてとても喜ばしく、誇りに思います。
どの人も、研究に着手し、めでたく成果が世界に認められるまでには、苦しいことがたくさんあったことでしょう。
最初は興味を示していた賛同者も、いつになったら目に見える成果があがるのかわからない状況になると、一人去り、二人去りで、自分ひとり孤独な戦いを続けなければならなかったろうと思うと、万感胸に迫ります。

一方、そんな厳粛なノーベル賞とは対照的に、「イグノーベル賞」という、ノーベル賞のパロディ版というか、科学者の人たちのウィットに富んだ、楽しい、しかし、知的なお祭り騒ぎのような、授賞式があります。

これに参加しようとする人たちの研究テーマは全く、あきれるほどに多種多様で、よくこんなテーマを研究対象にすることを思いついたな、と思うものばかりです。

しかも、つい最近、驚いたのは、日本人研究者が10年連続して、この賞を受賞しているということ。これはホントに以外でした。

日本人は、生真面目な点は評価できるものの、ユーモアのセンスもあまりなく、とてもこうしたパロディに参加できるようなタイプではないと、思いこんでいたので、受賞する姿をみたときは、目を丸くしてしまいました。

まあ、それでもやはり、外国の受賞者たちと比べると、プリゼンは緊張気味で、うまく笑いをどうかとれるか、心配げな雰囲気は隠せない感じでしたけどね。これはもう国民気質だから仕方ありませんね。

よくこんなこと、研究する気になったネ、と言いたいほど、珍妙な研究を行って、その成果を披露して楽しむことが目的の賞のはずですが、受賞者へのインタビューなどみると、たいてい、聞き手は、その結果が、将来どういう点で実用的なことに結びつけられるか、という点に話を向けようとするようです。

それはいささか、賞の主旨を台無しにするような発想だと思うのですが。

研究成果が、人類にとってどのような役に立つかは、ノーベル賞のほうに任せておけばいいことであって、イグノーベル賞は、ただひたすら、好奇心や科学への探求心を満足させるためのお祭りだと、捉えた方がたのしいと思いませんか。
「科学っておもしろい」子供たちが、そして子供だけでなく、老若男女を問わず、すべての人々が子供のように、目を輝かせて、自然や科学に関心を持ち、好奇心を満足させるきかっけになれば、それはすばらしいことと思います。